多賀町多賀は多賀大社の門前町として古くから栄えていた。 江戸期には「お伊勢参らば お多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」という俗謡も生まれた。また多賀神社で参詣者に出すお守り「お多賀杓子」は「おたまじゃくし」の語源となったという。 多賀村の江戸期は彦根藩領と多賀神社の朱印地であった。「寛永高帳」の村高は902石余、うち彦根藩領549石余、多賀神社領352石余となっていた。元禄8年(1695)の大洞弁天寄進帳では男340・女401人となっていて、元禄3年(1690)の村明細帳によると家数142・人数622となっている。 安永2年(1773)多賀大社祭礼の日の大火で町屋敷100軒ほどが焼失し、多賀大社も総なめにして、更に隣村の久徳村をも10軒余焼いた。そのため現在も両村では祭り当日は風呂を沸かさないという。 町並は多賀大社の前の通りの表参道「絵馬通り」で展開していた。多賀大社の鳥居前には土産物店や名物の切り餅屋そして飲食店が、少し離れて料理旅館や旅館などの門前町を構成する商家が建ち並び、その間には各種の商店が軒を並べていた。一般的には切り妻造りの平入り、中2階建て桟瓦葺での家屋であり、中には格子もそのまま残した商家の建物もあった。 滋賀県の歴史散歩上 山川出版社 滋賀県高等学校歴史散歩研究会 1995 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 滋賀県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1991年 |
多賀町多賀の町並 |
多賀町多賀の町並 |
多賀町多賀の町並 |
多賀町多賀の料理旅館 |
多賀町多賀の町並 |
多賀町多賀の旅館 |
多賀町多賀の町並 |
多賀町多賀の町並 |