下狛村は京都から奈良に南北に通じる旧奈良街道に沿った集落である。木津川対岸の山城町上狛と対応し、地内には渡来文化の影響を受けた僧坊・法光寺・浄楽などの地名が残っている。 江戸時代の下狛村は、元禄13年(1700)山城国郷帳や天保郷帳などでは、各々下狛を冠した谷・僧坊・里・船頭の四村に分けられて高付けされているが、享保14年(1729)山城国高八郡村名帳によると一村として高付けされている。 四村は明治元年(1868)に合併して正式に下狛村となり、明治22年に狛田村の大字となる。 明治10年代の「京都府地誌」によれば戸数204戸・360人。物産としてエンドウ・菜種・実綿・煙草があった。 町並は旧奈良街道に沿ってはいるが、農村集落であり、裕福そうな農家の佇まいを持つ民家が連なっていた。 建物は江戸時代と思われるのもあったが、殆どは明治から昭和にかけて建てられたものの様であった。主屋は入り母屋造りが多く、奈良が近いが、奈良盆地独特の大屋根の片方が一段落た形態は見られず、大阪北部から京都南部に広がる入り母屋造りの重厚な家屋であった。 角川日本地名大辞典上巻 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和57年 京都府の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
下狛(下馬・中垣内)の町並 |
下狛(中垣内・林前)の町並 |
下狛(中垣内・林前)の町並 |
下狛(中垣内)の町並 |
下狛(中垣内)の町並 |
下狛(下馬)の町並 |