嵯峨鳥居本の町並
嵯峨鳥居本小坂町・嵯峨鳥居本化野町・嵯峨鳥居本仙翁町
地図


愛宕神社一の鳥居前の町並
嵯峨鳥居本地区は京都市街の北西嵯峨野のそのまた北西に位置する。愛宕山の麓に位置し、愛宕街道沿いの延長約650mにわたる街道筋の地域である。
 室町末期頃、農林業や漁業を主体とした集落として開かれたという。また愛宕山頂(924m)に祀られる愛宕神社は古くから火伏せの神として人々の崇敬を集めてきた。江戸中期になると農村と愛宕詣での門前町としての性格も加わり、江戸末期から明治、大正にかけてこの愛宕街道沿いには農家、町家のほかに茶店なども建ち並ぶようになった。
一の鳥居から始まる門前町だから鳥居本と言うのではなく、8月16日夜の盆の「大文字送り火」のとき、最後に嵯峨野の曼荼羅山の「鳥居形」が8時20分ころ点火される。これが鳥居本という地名の起こりだ。
旧道(愛宕街道)の中程に化野(あだしの)念仏寺がある。約1100年前の弘仁年間(810〜824)に弘法大師が野ざらしになっていた遺骸を埋葬したとされる。境内の中央に広がる西院の河原には約8000体の石仏、石塔が並びもの悲しさが漂う。化野一帯に葬られた人々のお墓である。今尚、出土する石仏も珍しくなく、石仏と共に発掘される壷や古銭より平安期から鎌倉、室町、江戸の各時代に及ぶ。この無縁仏の霊にローソクをお供えする千灯供養は、地蔵盆の夕刻より行われ、光と闇と石仏の織り成す光景は荘厳である。
念仏寺の前の鳥居本仙翁町に、茅葺屋根と瓦屋根の合体したような曲がり中門造りになっている民家がある。魔除けの貝殻も付けてあり、玄関脇には2ケ所の駒つなぎ環ががあった。この家より上には農家風な茅葺屋根の家が多くなり、下には瓦葺の京風町家が並んでいる。丁度境目のこの家が両方の要素を取り入れた格好になっていた。
念仏寺より少し上に「嵯峨鳥居本町並み保存館」がある。この家は愛宕街道と瀬戸川に挟まれたこの地に明治初期に建てられたものだ。一階は格子、ばったり床几に駒寄せがあり、中二階に虫籠窓、大屋根には煙出しを備え、土間にはかまど、井戸などがあった。
ここより上に茅葺屋根の家屋が続き、鮎料理の「つたや」と「平野屋」で茅葺屋根の町並みは終わる。このあたりが鳥居本の茅葺屋根のみどころの景観である。平野屋の茅葺屋根は苔むし、床几に赤い毛氈が敷かれていて人待ち顔であった。
念仏寺から下の鳥居本の町並みはカーブして八体地蔵に向けてゆるく下りになっている。八体地蔵のある三叉路迄の下地区には、京風町家で桟瓦葺、切り妻造り、平入り、二階建ての家になり、一階に格子、出格子、ばったり床几を付け、二階は白漆喰で塗り込め虫籠窓を設けた家が多くあった。
化野(あだしの)も以前に較べ大きく観光地化した。多くの人が訪れるのは、観光地としてはいいだろうが、以前のひなびた感じが無くなっていて、寂しい思いがする。町が生き残るためには仕方ないことかも知れないが、次第に歴史的景観がなくなる。重要伝統的建造物群保存地区に選定されて久しいが、レストランや土産物屋を保存している様で、外観さえ昔なみに保てばいいようだ。でも人が住む町を保存しようというのだから難しい問題だが、根本的な問題を先送りしているように思えて仕方ない。
町並み指数 50
参考文献      
  京都府の歴史散歩中  山川出版社  山本四郎  1995年
  歴史の町並み事典  東京堂出版  吉田桂二  1995年
  歴史の町並みを歩く  保育社  高士宗明  平成6年
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和57年   

曲がり屋の民家

雪の一の鳥居前の風景
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