近江八幡市沖島町の町並み 
沖島町
地図


沖島町の町並
 近江八幡市沖島は琵琶湖中央部東側に浮かぶ琵琶湖最大の沖島に位置している。
中世には、琵琶湖対岸の高島・小松・堅田を結ぶ琵琶湖湖上の交通拠点としての機能を持っていた。当時の琵琶湖湖上支配権は堅田惣が支配していたが、この支配下のもとで永正3年(1506)から廻船警護料を徴収する関所が設けられ、代官として当初は中嶋家が管理。永禄8年(1565)頃には沖之島惣の管理下に置かれている。
江戸期を通じて殆ど彦根藩領15石で、他に海年貢・網運上銀・船運上銀などを彦根藩に納入していた。
元禄8年(1695)には人数149。慶安4年(1651)丸船改帳では45石積船1・40石積船2・25石積船1・15石積船1・10石積船2・5石積船1の計8艘を所有していた。これらは荷物や人を運ぶ船で、他に多くの漁船を所有していたものと思われる。
「興地志略」には「漁人多く此に住み、其島の石を取って之を売る」とみえ、また、「近江名所図会」には「沖津島ともいへり。神社有り。人家四五十軒。中略畳の表を産とす」とある。
沖島集落は島の狭小な平地に密集し、漁業で生業を立てている。農業は堀切港近くの、かっての西湖の干拓地で出作を行い、主漁副農が島の生活実態である。
海に面する漁村同様に狭い生活道路、フェリーが通っていないので、島内には自動車が無いのではと思う。
狭い生活道路は、車が通らないので一向に構わないのだろう。漁師町だから特別大きな家屋も無く、どの家も庇を突き合わせ、軒と軒を重ね合って建っている。江戸期に遡る家も有るだろうが、殆どは明治以降の建物だと思われる漁村特有の密集集落であった。
町並み指数 50
参考文献   
  滋賀県の歴史散歩下  山川出版社  滋賀県高等学校歴史散歩研究会  1995
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和54年

沖島町の町並

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