大津市坂本の町並み 
坂本4丁目・坂本6丁目・日吉大社参道
地図


坂本4丁目の町並

  琵琶湖の南端西側に大津市坂本はある。天台宗総本山延暦寺のある比叡山の東麓にあたる。延暦寺と日吉神社の門前町として栄えてきた。
平安時代の末期、天台宗総本山比叡山延暦寺は、6000坊を越えるほどの最盛期を迎えた。寺の台所をあずかる麓の坂本も活気にあふれ、室町時代には2〜3000の家が建ち並び、1万人以上の人が暮らす町になっていた。坂本港には延暦寺の寺領地から届く年貢米があふれ、町は全国からの参拝の旅人で大変賑わっていた。建暦元年(1211)の日吉社辺りでの火災で2000軒が焼失し、室町初期には坂本に質屋が39軒あったようで、当時の繁栄と都市化の状況を窺い知ることができる。文亀元年(15「て少し説明すると、坂本のどの里坊にも穴太積みの石垣を見ることができる。特に滋賀院門跡の石垣が一番立派ですばらしい。穴太衆積は延暦寺の三塔十六谷に散在する堂塔伽藍の石垣工事や石造五輪塔・石仏などの製作に従って技術を磨いた穴太の石工技術集団で、全国的に誇りうる石工集団で、江戸初期からの活躍が注目される。
中世の山城は構造的には粗放なもので、多くは堀を掘った土を掻き揚げて土塁をつくり、その土塁は突き固められた程度のものだった。そして近世初頭には石垣のある城郭が全国各地に登場した。
この石垣の構築にあたったのが穴太衆である。穴太衆は江戸幕府によって「穴太頭」の地位が与えられ、伏見城・篠山城・名古屋城・小倉城・金沢城・和歌山城・近江八幡城・観音寺城・伊賀上野城・熊本城・彦根城・松阪城などの石垣工事に参加した。脚光をあびるにいたったのは、織田信長の安土城の石垣工事からである。
穴太積みは野面積みの一種で、大小の野面石を加工せずに自由に使い積み上げている。石の大きい方を中にして積む方法で、石垣の表面には隙間ができ、外観は粗雑に見えるが、崩れにくく、水はけもよい大変堅固な積み方である。彦根城の石垣の特徴である「ごぼう積み」も穴太積みの様式といわれる。
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参考文献      
  雑誌関西遊ぼうマガジン関西小さな町・小さな旅  山と渓谷社  1996年
  滋賀県の歴史散歩上  山川出版社  滋賀県高等学校歴史散歩研究会  1995
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和54年

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