大津市の旧志賀町北小松は大津市の最北部、琵琶湖の西岸に位置する湖岸の集落である。 江戸時代のはじめは幕府領、大津代官所支配であったが、のち大部分が三上藩領で一部旗本黒川領になり、その後幕府領と堅田藩領の相領となり、堅田藩領は下野佐野藩となり明治を向かえている。 北小松は西近江路の宿場で、南の木戸宿から2里8町、北の河原市宿(現高島市新旭町)まで6里半10町であった。もとは小松一村で宿場を勤めたが、文政9年(1826)には宿場の負担が大きいと、近隣13ケ村の助郷を頼みたいと願い出ている。 慶安2年(1649)船数帳では一人加子船8艘、二人加子船8艘とある。慶安4年(1651)丸船改帳では33艘が記されている。延宝9年(1681)船数帳では丸子船39艘、うち10〜50石積22艘、60〜100石積17艘であった。 明治13年の明治物産誌ではの家数197・人数979とあり、その内182戸が農業のかたわら漁業を営み、ヒウオ・シジミなどの漁獲があり、船63艘、旅籠7、石工8とある。 今集落内を歩くと、漁村集落・街道集落・農村集落と云ったいろんな様相を示した集落であったが、琵琶湖産の湖魚の佃煮製造業の方が多くおられた集落である。 古い伝統的な建築様式の家屋は中2階建てで、切妻造りであるが軒が四方に張り出した建て方の家屋が多かった。煙出しを残した家、白漆喰の塗り込め家屋も多く見られた。 滋賀県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1991年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 |
北小松の町並み |
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