天正19年(1591)の大坂天満より、京都6条堀川への本願寺の移転に従って、移住してきた町人たちが造った町で、伽藍造営とともに、寺内町建設も進められた。 慶長7年(1602)には、烏丸六条から七条の間に徳川家康から寺地を寄進され、東本願寺を別立している。 西本願寺寺内町は北は六条通り、南は下魚棚通り、東は新町通り、西は大宮通りの範囲で約16,930坪である。初期西本願寺寺内町の様子が描かれたと思われる六条境内図には、西本願寺門前の東から南にかけて町並みが展開している。 寺内町では「古町」「由緒町」と称して、他町より一段高い格式を持つ町が13町あった。表処置録によると、艮町(うしとら)・辰巳町・平野町・若松町・東松屋町・夷之町・夷之町西組・西松屋町・丹波海道町の9町と油小路通りの西若松町・仏具屋町・玉本町・米屋町の4町で、油小路の4町が特に由緒町と呼ばれた。 古町も本山に対する年頭・中元の御礼も他町とは異なるが、由緒町は特別の献上物を差出したりして、古町の中でも別扱いされていた。 また、古町・由緒町13町の他に、客室12町と呼ばれる一群がある。そこには全国諸末寺からの本山参拝者などが泊まった宿泊施設があった。この客室12町とは、由緒町の油小路4町の西若松町・仏具屋町・玉本町・米屋町と元日町・北小路町・植松町・数珠屋町・住吉町・堺町・丸屋町・菱屋町であった。 西本願寺寺内町の職業構成は商業では仏具屋23・酒屋21・米屋36・魚屋12・麹屋16・青物屋24・茶屋21・油屋14・たばこ屋11などの他各種の商売があった。工業では鍛冶屋14・ぬし屋11・絵屋11・大工51・紺屋20の他各種の職人が居住していた。その他に各種の仲間も組織されていた。 今も旧寺内町域には仏具商が多いが中でも、西本願寺門前の正面通りの両側は仏具商のみが軒を連ねている特殊な町並みである。その仏具商を取り囲むように、その廻りに旅館が建ち並び京都らしさの中に一種独特の雰囲気を醸し出している。 京仏具は京都の伝統産業の一つであって、今でも活発な商いが行われている。このように仏具の商売が盛大になったのは、江戸時代に檀家制度が制定されてからといわれ、寺院用の仏具の約8割、家庭用仏具の6割を生産販売している。 家屋は殆ど切り妻造りの2階建て、平入りの家屋が軒を連ねている。ここでも京都の町屋と言われるように、ウナギの寝床のように、間口が小さく奥行きが長い町屋ばかりであった。 京都府の歴史散歩上 山川出版社 山本四郎 1995年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和57年 京都府の地名 平凡社 日本歴史地名大系30 下中邦彦 |
揚梅通り油小路下ル中金仏町の町並み |
花屋町通り油小路東入ル西若松町の町並み |
花屋町通り油小路下ル仏具屋町の町並み |
花屋町通り油小路下ル仏具屋町の町並み |
正面通り堀川東入ル丸屋町の町並み |
正面通り堀川東入ル玉本町の町並み |