西浅井町大浦は琵琶湖北部、大浦湾の湾奥、大浦川の河口に位置する集落である。 寛永7年(1630)の村高は991石で石川氏領。元禄14年(1701)には膳所藩本多氏領で、そのまま明治を向かえている。 大浦は古代から湖上交通の要津であり、塩津・海津と共に北国路への中継点として発展し、古くから問屋座もあった。 日本海側の諸浦から敦賀に集まった物資は、陸路七里半越えの海津より距離が短いため大浦がよく利用されたが、近世初頭塩津街道新道(五里半越え)が開かれ、大浦は次第に衰えた。 大浦には古く問屋株九株があったが、慶長年中(1596〜1615)から三株減少して六株となった。船舶は問屋株一株につき12艘、他に帳屋分2艘の合計74艘があった。 また、延宝7年(1679)船数帳では280石〜300石積2艘をはじめ30艘あった。、享保年間(1716〜36)に丸子船が110〜130石積5艘、20石〜80石12艘、?船(平田船)25艘があったという記録も残る。 産業は稲作農業が主で、湖上運輸と漁業が行われ、山間部では薪炭生産も行われていた。 明治13年の家数249・人数1,003とあり、村内には荒物商4軒・菓子店・油屋などもあった。 今の町並みは、街道筋の町並みの様相を示している。旧街道に沿って平入り・妻入りの伝統的な様式の家屋が連なっていて、近隣の農村集落とは異なる様相である。これも物資中継点として多くの問屋株の船をもって活躍していた当時の名残だろうと思われる。 尚、古代から栄えていた大浦港の今は、奥琵琶湖を漁場とする地元漁民の小漁港でエビ・イサザ・フナなどが水揚げされているが、外来魚に拠って漁獲量が落ちている。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 滋賀県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1991年 |
西浅井町大浦の町並 |
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