長浜市木之本町大音(おおと)は琵琶湖最北部から賤ケ岳を隔てた東側に位置する。 賤ケ岳の登山口があり、観光リフトが頂上に通じていて、天正11年(1583)豊臣秀吉と柴田勝家との間で行われた合戦の場ともなった所で、七本槍の活躍で知られる所。 寛永11年(163)では彦根藩領で以後明治まで彦根藩領が続く。元禄8年(1695)には人数354人とあり、明治13年の家数93・人数364とある。 稲作主体の農業であったが、大音糸が有名であった。大音糸は刀の提氏E和楽器(琴)の琴糸として知られ、文政〜天保(1818〜44)には最盛期を迎えている。 戦後の昭和30年頃まで、集落の7割が生糸の生産に関わっていて、働き手も200人を数え琴糸や三味線糸をつくる撚糸業者も5軒が稼働していた。 しかし一軒、また一軒と消えていき、今では一軒の工房を残すだけとなってしまった。 国道8号線を琵琶湖岸から賤ケ岳隧道を経て出た所が大音集落。農村集落にしては大型の家屋が多いなあと思って、資料もなしに訪ねたところ。集落内を歩いているときには、大型の家が多いなあ程度の認識でしたが、帰って歴史を調べると特殊な用途の生糸を生産加工していた集落と判った。 切妻造りの2階建て、養蚕の為の大型家屋で構成された集落はなかなか見応えのある農村集落であった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 滋賀県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1991年 |
木之本町大音の町並 |
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