宮津市田井は栗田半島北部海岸に面している。 江戸期はじめは宮津藩領、寛文6年(1666)幕府領、同9年宮津藩領、延宝8年(1680)幕府領、天和元年(1681)以降宮津藩領。 村高は「延宝郷村帳」192石余、「天和村々高帳では栗田村に所属し199石余、「宝永村々高辻帳」196石余、「享保郷村帳」197石余、「宝暦郷村々覚」「天保郷帳」共に200石余、「旧高旧領」196石余。 幕末文久年間(1861〜64)の船数小船37、家数39・人数171。漁業の発達は遅く鰯地引網程度であったが、近世後期には越中網・柔魚絞網による漁法が発達した。 何かの資料で田井の船小屋の事を見たと思い、小田宿野から峠を越えて訪ねたのであるが、どうも船小屋の件は舞鶴市の大浦半島の先端にある同名の田井集落の事のようであった。 中津・小田宿野集落と妻入りの家屋の町並を見てきたが、田井に来ると殆どが平入の家屋である。同じ栗田半島の集落だから古くから支配体制も建築様式・生活状況も変わらない筈だから、平入・妻入りは単に南に向けて家が建てられているだけのように思えた。 集落内は栗田半島の他の海岸沿い集落同様に板囲いの家屋が連なる農漁村の様相を示していた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和57年 京都府の地名 平凡社 日本歴史地名大系30 下中邦彦 |
田井の町並 |
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