舞鶴市田井は京都府北部、大浦半島北東端に位置し、若狭湾に面し集落は湾奥の平地にある。 江戸期は田辺藩領。村高は「慶長郷村帳」「享保郷村高附」「享保村々高附」「丹後旧語集」「田辺藩土目録」共に167石余、「天保郷帳」「旧高旧領」171石余。慶長郷村帳に167石余、家数43とあり、半農半漁の村であった。享保年間(1716〜36)には大浦代官の管下で家数51。延亨3年(1746)の郡中高究付覚による農家戸数は34とある。明治初年の「府地誌」によると家数54・人数313、農業船21・漁船24とあり、民業は半農半漁で物産に鰤200本・烏賊1,000貫・竹1万本・薪1万貫があり、舞鶴市街・宮津及び若桜小浜に出荷していた。 この集落には舟屋が残っているとのことで訪ねた。伊根の舟屋と違い砂浜の奥に舟小屋が連なっていた。伊根の舟屋は海岸ぎりぎりに舟屋がある。伊根は海岸から急勾配で深くなっているのに比べ、田井は遠浅の砂浜のためにこのようになっているのだろう。舟屋も戸建ての舟屋と一棟建て中が小さく仕切られている長屋の舟屋があった。 いずれにしても海から船を小屋に引き上げるには、電動ワイヤーでの引き上げになる。しかし今では殆ど使われていない舟屋も多くあった。近くに漁業協同組合の船の係留場所が設けられているので、そちらを使用されているのだろう。 海に向いた舟屋の後ろ側は道になっていて、その奥に集落が広がっている。そうするとこの舟屋も何時取り壊されるか……と思いながらの探索だった。 集落内を歩いている時に出逢った方に話を聞くと、今でも約半数の家は漁業に係っているとのことだった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和57年 京都府の地名 平凡社 日本歴史地名大系30 下中邦彦 |
田井の町並 |
田井の町並 |
田井の町並 、舟屋の後ろ側 |
田井の町並 、舟屋の後ろ側 |
田井の舟屋 |
田井の舟屋 |
田井の町並 |
田井の町並 |
田井の町並 |
田井の舟屋 |