舞鶴市成生は京都府北部大浦半島の先端部に位置し、若狭湾に面している。 江戸期は田辺藩領、村高は「慶長検地郷村帳」「享保郷村高附」「享保村々高附」「丹後旧語集」「田辺藩土目録」共に31石余、「天保郷帳」「旧高旧領」34石余。 「慶長検地郷村帳」に31石余「成生村」とみえ、当時は小成生村と云う分村があり、成生村は63戸、小成生村には13戸があったという。家数に比べ高が少ないのは漁業を生業とする集落であった村の姿である。近くの集落田井村と比べると、「慶長検地郷村帳」で田井村の家数43戸・167石余とあり、成生村は家数が多いのに高は5分の一以下である。これは同じ様な海岸に面した村でありながら、成生は地先に好漁場を持って当時から漁業中心(鰤漁)の集落だったためだろう。 慶長12・13年(1607・08)頃、多くの村人が出漁中海難のため全員死亡。一挙に働き手を失った成生は小成生をなくし成生村に集まった。遭難から十数年後の寛永年間(1624〜44)には成生村の家数はわずか7戸であり、元禄16年(1703)でも15戸に過ぎなかった。 舟屋のある集落として訪ねたが、舟屋前の海岸が埋め立てられて道路になり、舟屋には船ならぬ自動車が置かれ車の駐車場になっていた。集落を歩くと、もっと寂れていると予想していたが、活気ある集落に感じた。 密集型の漁業集落で、各家屋は比較的きれいに整備され、あまり無住と感じる家が少なかった。 舟屋の中で漁網の補修をされている方と話すと、この集落では80歳より若い方は、漁業に係わりをもって生活されているとのことで、今でも漁業中心の集落であるようだった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和57年 京都府の地名 平凡社 日本歴史地名大系30 下中邦彦 |
成生の町並 |
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