舞鶴市は古くからの城下町西舞鶴と軍港都市として発展した東舞鶴と二つの顔を持つ町であり、地形的にも全く異なった位置である。 西舞鶴は天正6年(1578)織田信長軍による丹後平定で近世がはじまり、細川藤孝が田辺八田に築城したのがはじまり。その後京極高知、その子(二男の高三)が田辺領3万5千石として引継ぎ、次に譜代大名牧野親成が入部し、以後幕末に至っている。 西舞鶴は城下町として大いに栄えたが、当時今の東舞鶴は一漁村であった。 それが、明治19年に海軍によって舞鶴湾の測量があり、軍港としてスタートした。そして明治34年第4海軍区鎮守府が置かれ、海軍工廠など軍関係の中核部門が置かれた。以後東舞鶴は昭和20年の終戦まで海軍の町として特異な発展を見せる。 新市街地は寺川と新川の間に計画的に碁盤目状に造成され、市街の西側に官舎山を中心とする海軍軍人関係の施設が配置され、文字通り軍都となった。 現在舞鶴には70余りのレンガ建物が残っているが、これらの多くが旧海軍関係の施設である。市役所周辺には12棟の赤レンガ倉庫が建ち並んでいる。いずれも旧海軍の魚雷や鉄砲等の倉庫として使用されていた。殆どは明治34年から36年の間に集中して建築されたものである。 戦争の遺物として無用の長物的な存在であった赤レンガ建造物が、市民運動によって脚光を浴びるようになってきた。 赤レンガ倉庫を転活用した「赤レンガ博物館」や「市政記念館」の開設をはじめとして、毎夏には赤レンガ倉庫群での野外ジャズコンサートも定着した。 今、民間倉庫会社や海上自衛隊も赤レンガ倉庫をライトアップし、舞鶴のイメージアップに一役買っている。 京都府の歴史散歩下 山川出版社 山本四郎 1995年 京都の赤レンガ 京都新聞社 日向 進ほか 1997年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 |
赤レンガ博物館 |
市政記念館 |
北吸地区のレンガ倉庫群 |
北吸地区のレンガ倉庫群 |
北吸地区のレンガ倉庫群 |
北吸地区のレンガ倉庫群 |
レンガ倉庫群(海上自衛隊) |
レンガ倉庫群(海上自衛隊) |