醒ヶ井は清水が湧く旧中山道の宿場町だ。 江戸期では、はじめ幕府の直轄領であったが、享保9年(1724)に大和郡山藩の領地となり、そのまま明治維新を向えた。「宿村大概帳」によると、天保14年(1843)当時、醒ヶ井宿は東西8町2間、家数138軒、人口539人で本陣一軒、脇本陣1軒、旅篭11軒で中山道では小さな規模の宿場であった。 醒ヶ井宿中心部の西端は地蔵川に掛かる大橋から東端は加茂神社・地蔵堂までの間約300mで、この間に古い町並が展開するわけだが、格子や虫籠窓を備えた伝統的な商家の建物は少なくなったそうだが、それでもまだ多く残っていて、伝統的建造物群保存対策が少しづつ進行しているようだ。 本陣跡は地蔵川の南側で、今は「本陣樋口山」という料理屋になっていて、高札場は醒ヶ井大橋のたもとにあった。 脇本陣は享和年間(1801〜4)には2軒であったが、天保年間では「宿村大概帳」の通り1軒になっていて、街道の北側にあった。 醒ヶ井宿絵図(年不詳)によると、旅篭屋は「宿村大概帳」の通り11軒描かれているが、全て街道の北側にあり、茶店、荒物屋、饅頭屋などの商店の多くは街道の北側に店を構えていた。 地蔵川を流れる清流の水源は加茂神社の石垣からであり、その居醒の清水が最初の水源で、次ぎが中山道が地蔵川を横切る手前の十王水で、三つ目がその西約100mにある西行水で、全て涌き水というから清らかなことはこの上ない。 この地蔵川には絶滅寸前の珍魚のハリヨが生息しているそうで、懸命に探したが見られなかったが、バイカモという藻のような植物が清らかな水の中で揺らいでいた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 滋賀県の歴史散歩 山川出版社 滋賀県高等学校歴史散歩研究会 1995 近江中山道 サンライズ出版 淡海文化を育てる会 1996年 関西小さな町小さな旅 山と渓谷社 山と渓谷社大阪支局 1997年 |