京丹後市大宮町周枳は京都府北部、日本海に注ぐ竹野川の中流域右岸、口大野の東側に位置する。 江戸期初めは宮津藩領、寛文6年(1666)幕府領、同9年宮津藩領、延宝8年(1680)幕府領、天和元年(1681)以降宮津藩領。村高は慶長7年()検地で1,081石余、以降「宝永村々辻高帳」「宝暦郷村之覚」「天保郷帳」「旧高旧領」共に1,370石余。 文化14年(1817)の家数175・人数680。明治5年の村明細書上帳によると家数150、うち縮緬屋9、人数606。 江戸中期から丹後地方に縮緬業がはじまり、周枳村でも丹後縮緬が織られており、高田屋惣右衛門御用帳によると、安永4年(1775)には当村には機数12とあり、一機につき銀40匁の運上銀を納めていた。 周枳では昭和50年の農家総数152、うち専業農家5、機業事業所205で従業員数は477とあり、多くの家で機業に従事していたことが判る。そして今でも周枳集落では面々と丹後縮緬の機屋の活躍が続いていて、周枳の町並を歩くと各所から「ガチャン ガチャン……」と機織りの音が響き渡っている。本格的な工場の織業もあれば、家内工業的な織屋もあり、集落全体が織物工場のような状態になっていた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和57年 京都府の地名 平凡社 日本歴史地名大系30 下中邦彦 |
大宮町周枳の織物工場 |
大宮町周枳の織物工場の町並 |
大宮町周枳の織物工場 |
大宮町周枳の町並 |
大宮町周枳の町並 |
大宮町周枳の町並 |
大宮町周枳の町並 |
大宮町周枳の町並 |
大宮町周枳の造り酒屋 |
大宮町周枳の造り酒屋の酒蔵 |