丹後半島一帯は古代から開けたところで、古墳の大変多いところだ。この網野にある銚子山古墳は全長195m・高さ17mで国史跡に指定され、日本海沿岸では最大の前方後円墳である。その他にも離湖近くの岡古墳をはじめ約30ヶ所の大小古墳がある。 元和8年(1622)京極高知の死去により、田辺藩・宮津藩・峰山藩が成立し、網野は宮津藩領となった。享保2年(1717)幕府領、宝暦9年(1759)再び宮津藩領となりそのまま明治を向えた。 当地でも絹織物が江戸時代を通じて細々と続けられていたが、縮緬の生産が隆盛に向ったのは江戸末期である。その後幾多の変遷を経て、今でも絹織物は盛んに行われている。 漁業は延縄などの釣漁が中心で、イワシなどの地曳網等も行われていた。離湖のうなぎ・鯉は特産で毎年領主に納めていたという。 今町並を歩くと、少し寂れたような印象を受ける。平入りの切り妻造り、中2階建てや2階建ての建物が連なるが、何処となく活気に乏しい。高齢化・過疎化が進んでいるのは事実だが、無住になった家もそう多くはないようだが。 京都府の歴史散歩下 山川出版社 山本四郎 1995年 京都府の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和57年 |
網野の町並 |
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