京都市上七軒の町並み 
真盛町、東今小路町
地図


真盛町の町並み
 今出川通七本松から北野天満宮東門に至る、300m程の道の両側の地域が上七軒と呼ばれている茶屋町で、京都で最も古い茶屋町であるといわれている。
「京都府下遊郭由緒」によると上七軒は往古より七軒茶屋と呼ばれ、足利氏武勝の頃、北野天満宮再建の残木を以って七軒の水茶屋を神社東門前に建てたことから上七軒の名称が起こったという。
元禄−正徳(1688〜1716)頃には鳥居前町13軒・真盛町19軒・右近馬場(社家長屋町)10軒の茶屋を数えた。
宝暦11年(1761)遊里再編政策で上七軒は島原(下京区)の支配下に入り、寛政2年(1790)には営業停止命令を受けたり、5ヶ年限りで以遊女をおく許可が出たりしている。
文化4年(1804)には上七軒に芸者の取り扱いが許可されたが、天保13年(1842)には遊女・茶立女・芸者を抱えているものは商売替えを命じられたり、嘉永4年(1851)には遊女を置くことが許可になったりと時代、時代で対応が異なり、京都の他の遊郭同様いろんな変遷を経た。
上七軒は西陣に近く、西陣の機業家を主な顧客とし、他の花街に比べて地味で古風さが特徴といわれた。
大正初年で茶屋約30軒、芸妓約60人ほどであった。昭和33年の売春防止法施行により、遊女はいなくなったが、芸者・芸妓などが今でも花街を引っ張っていて、北野踊りは昭和27年からはじまり、京都の4月の風物詩となっている。
今、茶屋は12〜13軒程度で、狭い道に面して2階建てで背の高いお茶屋形式の町家が並ぶ。賑やかさはないが静かで落ち着いた茶屋街を形成していてる。
京都の茶屋特有の2階には簾が垂れ下がり、昼でも三味線の音色が聞かれる花街である。
郵便局までお茶屋さそっくりで風情ある建物であった。
町並み指数 50
参考文献    
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和57年
  京都府の地名  平凡社  日本歴史地名大系30  下中邦彦


真盛町の町並み

真盛町の町並み

真盛町の町並み

真盛町の町並み

真盛町の町並み

真盛町の町並み
古い町並みへ戻る