峰山は峰山藩の城下町(陣屋町)である。 慶長5年(1600)田辺城(舞鶴)から細川氏が豊前国中津に移り、田辺城には京極高知が入った。元和8年(1622)に高知が没し、丹後は3人の子供に分割され、宮津藩(7万8千石)、田辺藩(3万5千石)、峰山藩(1万3千石)の三藩が成立した。峰山藩初代は高知の養子京極高通で、城は持たずに陣屋を構えて以後、約250年12代目で明治を向えた。 峰山に入った京極高通は中世からの吉原山城(峯山城)に入らず、その南麓に陣屋を構え、南北に長い城下町を造り、峰山町と改めた。 元禄5年(1692)峯山絵図では家数101。宝暦3年(1753)の「峯山明細記」によると、不断町・横町・上町・中町・下町・藪町など11ヶ町が見え、家数298・人数1,547になっている。 産業としては丹後縮緬が上げられ、享保5年(1720)絹屋佐平治が西陣から機織技術を持ち帰って広めたことによる。その後、藩の保護政策もあり加悦谷の縮緬と競い合い「丹後縮緬」の名を高めたという。 今町並を歩くと、城下町当時の面影はあまり残っておらない。せめて城下町当時の区割りや道路などを探すも、それらしきものは見当たらない。昭和2年の丹後大震災時の火災で焼けてしまったようだ。町並もその後の復興で建てらたもののようであった。そして丹後縮緬の産地とのことであるが、野田川、岩滝や大宮などに比べて織機の音が殆ど聞かれなかった。 京都府の歴史散歩下 山川出版社 山本四郎 1995年 京都府の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和57年 |
峰山町の町並 |
峰山町の町並 |
峰山町の町並 |
峰山町の町並 |
峰山町の町並 |
峰山町の町並 |
峰山町の町並 |
峰山町の町並 |