丹後半島の取り付け根元ともいえる場所に位置し、街中を網野街道や間人街道が通る交通の要衝である。江戸期より丹後縮緬の生産の中心地であり、現在でも町人口の半数以上が織物業に従事している兼業農家の多い地域である。 江戸時代はじめは宮津藩領であったが、元和8年(1622)以降、口大野村は宮津藩領(家数200)と峰山藩領(家数42)に分属し、共に一時幕府領のときもあったが、多くは宮津・峰山藩領として推移した。 古い町並は網野街道に沿って展開している。平入りの切り妻造りの民家、中2階建てや2階建てで、煙り出しや格子戸を残した家もあり、なかなか見ごたえのある町並で、織機の音があちこちから聞こえていた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和57年 京都府の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
口大野の町並 |
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