京丹後市久美浜町の町並み
久美浜町
地図


久美浜町(十楽)の町並み

 京丹後市久美浜町は久美浜湾の南部、最奥で久美谷川と栃谷川の下流平地に位置している。豊岡街道・久美浜街道・湯島街道・網野街道が通じ、海上は久美浜湾を経て外海の日本海に通じる交通の要地であった。
江戸はじめは宮津藩領、寛文6年(1666)幕府領、寛文9年(1669)宮津藩領、延宝8年(1680)幕府領、天和元年(1681)宮津藩領、元禄10年(1697)からは幕府領と目まぐるしく代わっている。
久美浜町には、十楽、向町、仲町、土居、東本町、西本町、新町、新橋町、栄町の集落がある。古代の久美郷、中世の久美庄の地。十楽の地名があるのは、中世末に港町として、楽市楽座のあったことを示すと考えられている。
中世末の丹後国御檀家帳によると、久美の浜には五百軒があり、熊野郡・竹野郡を治める奉行の所在地であり、当時からこの地方の中心地であったとある。
享保20年(1735)に湊宮から代官所が久美浜に移され、久美浜代官所となった。天保4年(1833)の久美浜御陣屋図によると、総坪数1,604坪で、海岸に沿って郷倉・夫食蔵などが並んでいた。慶応4年(1868)に代官所は官軍陣営となり、官軍出張所と改称された。そして同年久美浜県が置かれ、官軍出張所は久美浜県庁となった。久美浜・生野両代官所支配地に但馬・丹波の旧旗本の知行地を加え、丹後・丹波・但馬・播磨・美作の5ヶ国に亘る23万石余りを管轄した。天神山の断崖を切り取りその土砂で水田を埋め、旧陣屋の敷地と合わせて7,000坪の構内に県庁が建てられた。
旅館も20軒になり、物産会社もつくられ、県立病院や兵舎も設置され、久美浜は活況を呈したが、明治4年に久美浜県庁が廃止され、新たに豊岡県が設置され豊岡県庁が建てられ、久美浜代官所は完全に姿を消した。
久美浜湾入口の湊宮の五軒家という、廻船業で財を成した五軒の豪商のことはこの地方では有名であるが、地域が少し外れているので解説は割愛したい。
今回訪ねたのは、久美浜町の十楽・土居・仲町・東本町・西本町辺りである。久美谷川と栃谷川に挟まれた地域の土居・仲町辺りは江戸期から明治期に豪商や問屋・地主などの家屋が多く並び、この地域の経済の中心であった。今でも重厚で大型の伝統的な様式の家屋が並んでいる。そんな中に豪商稲葉本家が公開されている。そして栃谷川の東側は十楽とよばれ、中世には市場が立っていたようで、江戸期から明治にかけては鍛冶屋・石屋・家具屋などの多くの職人が居住していた地域である。今も多くの小売店が店を構えているが、賑わっているとは思えないで閑散としいた。
そして久美谷川の西側の東本町・西本町も伝統的な様式の家屋が続く。かって多くの小売店が店を構えていたのだろうが、今は十楽同様閑散としている町並みだった。
今、この久美浜の町の歴史を伝え町並みを残そうと、「久美浜一区まちづくり協議会」が結成され、町並み保存や町並み美化に取り組んで居られる。成果のある協議会であって欲しいと願う。
町並み指数 50
参考文献
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和57年
  京都府の歴史散歩下  山川出版社  山本四郎  1995年
  京都府の地名  平凡社    下中邦彦  1981年

久美浜町(十楽)の町並み

久美浜町(十楽)の町並み

久美浜町(十楽)の町並み

久美浜町(仲町)の町並み

久美浜町(仲町)の町並み

久美浜町(仲町)の町並み

久美浜町(仲町)の町並み

久美浜町(仲町)の町並み

久美浜町(土居)の町並み

久美浜町の町並(東本町)み

久美浜町(東本町)の町並み

久美浜町(西本町)の町並み
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