北山杉で有名な京都市北区の中川地区を訪ねました。只、主として冬に行われる磨き丸太の作業風景は、梅雨入り直前の訪問でしたので、作業風景は一ヶ所でしか見られませんでした。 紅葉で有名な高雄の北、清滝川に沿って展開している集落で、一条街道(周山街道)が村の中央を通っている。 江戸時代の支配は「元禄村別領主帳」によると神護寺領。「享保村名帳」「旧高旧領」では西明寺領とある。明治5年の戸数107(市町村合併史)とあり、明治10年代の「京都府地誌」では戸数106・人数545とあり、山間の村としてはかなり大きな村であった。 「京都府地誌」も物産として杉・松円材・薪をあげ、特に杉については「北山丸太と称す、木理極めて美」と注していて、年間杉13,000本、松円材5,500本、薪5000束を京都・大阪に搬出している。 村民も林業に従事するものが大半を占め、京都府地誌によれば、伐樵業111戸、猟業2戸、工匠3戸を数え,女も薪を背負って京都市中を売り歩いていたようで、村の生活は殆どが林業で成り立っていた。 明治35年周山街道が改修され、牛車道が開通してからは、大いに林産業が発展し、昭和12年には周山街道の拡張補修により、トラック・バスの通行が可能になると、北山丸太の生産も飛躍的に発展した。 今、集落を取り囲む山々には、杉丸太になる手入れの行き届いた杉林が美しく整然と覆い茂り、見事な山の景観を造っている。集落内を歩くと以前のように磨き丸太の作業風景は殆ど見られない。杉皮剥ぎ作業が機械化されたことにより、作業場が集落から別の場所に移ったためだ。 そのため集落は他の山村集落と余り変わらない様相になっている。かっての作業場の建物と銘木の看板が他の農村集落との違いを見せていた。 地元の方に聞くと、今は植林された杉の手入れのため山に入っておられるそうで、集落は静まり返っていた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和57 京都府の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
北区小野中ノ町の民家 |
北区中川北山町の町並 |
北区中川北山町の作業場風景 |
北区中川北山町の作業場風景 |
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北区中川北山町の町並 |
北区中川北山町の町並 |
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