木津市山城町上狛茶屋街の町並  
上狛
地図


上狛の町並

 木津市山城町上狛は京都府南部、笠置山地を西流してきた木津川が北に流れを変える付近の右岸に位置し、古代から瀬戸内海と大和を結ぶ交通の要衝であった。
集落は旧奈良街道を軸に南北に連なり、街道に面して商店が多く並ぶ。概して北部は農業地域、南部は商業地域である。江戸期から明治初期にかけての上狛村は領域が一定していない。狭義の上狛村、中間の上狛村、広義の上狛村があった。
したがって、村高も「正保村高帳」は1,325石余・林村500石、「元禄郷帳」1,113石余、「享保郷帳」1,825石余、「天保郷帳」「旧高旧領」は共に1,335石余となっている。元禄郷帳は狭義の村高で、これに新在家分を加えたものが享保郷帳となっているように、時代によって地域範囲が異なる。
今回訪ねたのは旧上狛村の通称南部(新在家集落)で、環濠集落のあるのは通称北部(大里集落)である。
天保4年(1833)の上狛村の家数は東法華野村40・西法華野村72・野日代村53・新在家村73であった。明治7年にそれら4村が合併して改めて上狛村となり、同9年林村が合併した。大正15年町制改革により上狛町が成立し、大里集落・林集落・新在家集落からなった。大里・林集落は農業集落で、茶の生産を主とし、新在家集落は製茶工場や茶商人の多い商業地で、茶の集散地として発展した。
今もこの上狛の南部は茶の集散地として機能し、多くの茶問屋が軒を並べている。細い路地道に茶問屋の看板を揚げた商家が連なる。中でも特別大きな商家は日本有数の茶問屋となった福寿園の福井家だろう。大きなお茶工場が広がっていた。
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参考文献
  京都府の歴史散歩 上・下  山川出版社  山本四郎  1995年
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和57年 


上狛の町並

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