木津川水運の交易の要地は淀と木津であったが、鎌倉後期にはこの加茂にも市場が開設され、木津川の水運を利用して物資集散の地となっていた。 船屋は木津川の津としてできた集落で、公的には独立した行政村落ではなく、江戸時代には里・兎並・北の三ヶ村にまたがった町場の総称で、三ヶ村の中心はそれぞれの船屋の地であった。しかし正徳2年(1712)の大洪水により一切が流失し、木津川の流れも変化した。これによりそれぞれの集落や寺院は現在地の山際に移転した。 現在の船屋はそれ以後の集落で、淀川・木津川水運を利用して、また、北は信楽街道、南は奈良方面からの街道がこの地に集まったため、京都・大坂方面と物資の流通が盛んであった。 対岸の岡崎村との間に渡しも設けられていた。 明治仮製図などの地図類によると、伊賀街道と奈良街道(信楽街道)の交差点を基点に東の北村方向と、南へ加茂駅方面と鍵型に船問屋が軒を並べる、船屋の町並が道路に沿って形成されていて、加茂地方随一の商業地として発展していた。 今も江戸時代の町割りがそのまま残り、伊賀街道と信楽街道の交わったところを中心に東側の兎並船屋と南側の里には古い伝統的な商家の建物が連なっていて、船屋の町並の北側には木津川の流れがあった。 古い町並を構成する代表格の、呉服屋、造り酒屋などが軒を並べ、白漆喰の虫籠窓、煙り出し、格子窓を備えた民家も多くあり、江戸から明治にかけての面影を色濃く残していた。 京都府の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和57年 |
兎並船屋の町並 |
兎並船屋の民家 |
兎並船屋の造り酒屋 |
兎並船屋の町並 |
兎並船屋の町並 |
大字里小字中森の町並 |