篠山街道に沿った集落で、今でも旧街道の両側に民家が連なるが、その外側は全て田んぼという一本道の町並です。 吉田村の江戸時代は旗本松田氏知行地と亀山藩領で、天保12年(1841)の「桑下漫録」によると旗本松田氏知行地285石余・亀山藩領43石余で、家数は70戸であった。 吉田村内を犬飼川が北流するが、この犬飼川の東を天田といい、湿地帯で米穀の生産も無く、ハスやクワイを栽培していたという。 20年ほど以前に、国道372号線を通った記憶では、狭い通り難い道だったが、今では全てバイパスができて快適に通行できるようになった。そして、かっての国道372号線(旧篠山街道)沿いの町並がそのまま残った。 旧篠山街道に沿って両側に家並みが連なるが、その外側には田園風景が広がっていた。街道に沿った町並は、平入りと妻入りが混在し、丹波地方独特の景観を呈している。 また、街道筋の町並だから、通りに面して主屋がある商家の建物と、少し奥まって建っている農家の建物も混在していた。 京都府の地名 平凡社 下中邦彦 1979年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和57年 |
亀岡市吉川町吉田の町並 |
亀岡市吉川町吉田の町並 |
亀岡市吉川町吉田の町並 |
亀岡市吉川町吉田の町並 |
亀岡市吉川町吉田の民家 |
亀岡市吉川町吉田の町並 |