井手町井手の中を旧大和街道がとおり、この街道に沿う玉水には江戸時代玉水宿が設けられていた。 井手の中心地玉水は、集落の中心を走る大和街道と、西方に流れる木津川には舟運の淀船が就航し、古くから交通の要衝の地であったから、玉水宿が設けられたようだが、宿泊施設や、港湾状況などは定かでない。年貢米や木柴などが木津川の淀船を利用され、川湊の井手浜から運び出されていた。 文政6年(1823)の村明細帳によると、家数138・人数590とあり、天保2年(1831)の記録では玉水宿の家数37とある。 玉水宿の宝暦年間(1751〜64)の継ぎ立ては1ヶ年4,000人、天保年間(1830〜44)には9,000人を数えた。 明治に入って編纂された「京都府地誌」によると、井手村は家数433・人数1,997を数え、産物には茶や密柑があった。茶は神戸・横浜へ、密柑は京都・伏見・大和地方に移出されていた。 今町並は旧大和街道に沿って展開している。伝統的な様式の建物は平入りであったり、妻入りであったりと個々それぞれ異なるが、通りに沿って古い町並みが展開している。そして旧街道筋からひとたび山側の道に入ると、町並は一転した農村集落へと変貌する。集落には入り母屋造りが多いが、奈良県に近いことから、大棟が一段と落ちた大和地方独特の入り母屋大型の建物も混じっていて、裕福だった集落の様子が伺える。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和57 京都府の地名 平凡社 下中邦彦 |
井手(柏原)の町並 |
井手(柏原)の町並 |
井手(柏原)の町並 |
木津市山城町神ノ木の町並 |
木津市山城町神ノ木の町並 |
井手(北猪ノ阪)の町並 |
井手(宮の本)の町並 |
井手(宮の本)の町並 |
井手(宮の本)の町並 |
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