琵琶湖の東側に東近江市五個荘町がある。近江商人の故郷として、近江八幡市、日野町とともに全国に名を知られている。山本村の江戸時代は殆どの期間、彦根藩領であったが、慶応元年(1865)から同2年まで賀陽宮領。 元禄8年(1695)の家数102・人数574、明治13年の家数139・人数568とある。 中世には小幡商人が保内商人と覇を競い、近世後期以降昭和にかけて八幡商人や日野商人と並んで五個荘町も多くの豪商を輩出している。五個荘商人は麻布などの繊維製品を中心に手がけ、その商圏は関東・長野など中山道沿い地域を中心の遠く北海道から四国・九州にまで及んだ。 近江米と呼ばれる稲作農業が中心であったが、農業を営む傍ら、麻布織などの農間余業と天秤棒の行商に精を出した。 五個荘の近江商人は日野や近江八幡商人より江戸・京都への出店が遅かったが、山本出身の稲本利右衛門は文化12年(1815)大坂に「稲西屋」を開いている。 五個荘村は農村地域であり、特に水の被害が多く、貧しい地域であったので藩は他国に出ることに寛容であり、農作業の余業を奨励する恰好となった。 そして近隣に近江布の産地があり、土地の劣悪な環境から五個荘商人が誕生することになった。大成した豪商も農業を行いながら同時に天秤棒の行商を行っていた。 今でも巨万の富を蓄えた豪商の家・屋敷が金堂や川並同様に山本にも見られる。舟板塀や白壁の商家や土蔵が並んでいる。 五個荘の近江商人の屋敷は舟板塀、白壁の土蔵などを備えているが、門や玄関は小さく目立たなく建てられている。主屋は建て方から見て明治時代のものが多いと思われるが、どの家のつくりも成金趣味がなく瀟酒な建物である。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 滋賀県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1991年 |
五個荘町山本の町並み |
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