当地は室町・戦国時代から、東山道がとおり宿駅の一つであった。また中世から愛知川の渡河集落や近隣の交易の中心地として愛知川市や長野市などがあり、小幡商人・保内商人の活躍によって栄えていた。そして近世に入っても中山道の宿場町として栄えた。 戦国末期には豊臣秀吉の支配下であったが、関ヶ原の戦い後は江戸期を通じて彦根藩領となっている。 愛知川宿は天保14年(1843)「東海道宿村大概帳」によると、戸数199・人数927。旅籠屋28(大7・中12・小9)、本陣1・脇本陣1。町並は5町34間、問屋2であった。明治13年の戸数270・人数1,155でうち商家は90軒、蚊帳・麻布・呉服商が多かった。 産業は近世・近代を通じて近江米と呼ばれる稲作農業と麻織などの農間余業が中心であった。 中世以来近隣村落の交易中心地として、また中山道の宿駅として栄えたが、明治期以降主要交通路線から取り残されてからは、都市機能の進展でも停滞している。 古い伝統的な様式の家屋は、高札場の表示がある辺りに多く残り、本陣・脇本陣も近くにあったが今遺構は残っていない。 切り妻造りの平入り、中2階建・格子が一般的な伝統的な様式の家屋で、袖卯建を備えた家も多く見られた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 滋賀県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1986年 中山道歴史散歩 有峰書店新社 斎藤利夫 1995年 |
愛知川の町並 |
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愛知川の元銀行建物 |
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