永源寺町政所は政所茶の産地として知られていた。政所・九居瀬・黄和田・箕川・蛭谷・君が畑の六ヶ村は政所六ヶ畑と総称され、政所茶と木地師の里として有名である。 政所六ヶ畑では地味も低く、霜の害があって栗や黍(キビ)などの雑穀しか造れなかったが、越渓秀格禅師により茶が伝えられると、優れた茶の生産地となった。気候などが茶に合ったらしく、政所茶は風味に富み、江戸初期から生産量が増大したので、元和4年(1618)から、彦根藩は政所茶に運上銭を課しすようになった。そして政所茶は幕末から明治にかけては飛躍的に生産が伸びた。手摘みが主で二番茶は摘まず、殆どが煎茶となった。 「宇治は茶所、茶は政所、娘やるのは縁所‥‥宇治は茶所、茶は政所、味のよいのは九居瀬の茶」という茶摘み唄が伝わっている。 江戸時代はじめは幕府領であったが、元和3年(1617)彦根藩領となりそのまま幕末を迎えている。 政所村の戸数・人数は明治13年には138軒・611人であり、畑地17町6反のうち茶畑は16町3反もあって、政所茶を中心に製材・薪炭の林業を生業としていた。 昭和30年の世帯数138軒・人口563人が昭和50年には世帯100軒・人口349人と減少し、今ではもっと少なくなっているでしょう。 政所六ヶ畑の君が畑と蛭谷は木地師の里といわれ、蛭谷の筒井神社には近世の諸国木地師氏子狩帳32冊に50,000人近い木地師の名を記す貴重な民俗資料が残されている。また君が畑の大皇器地祖神社には諸国木地師氏子狩帳51冊が残っていて、共に木地師有縁の方が今でも多く参拝されている。 いま集落を歩いても、政所茶の生産は殆ど目にしなかったが、僅かに生産されているようで、今でも手摘みを守っているようであった。集落内の民家は大多数が茅葺き屋根であるが、殆どの家の屋根はトタン覆いがされていて、茅葺き屋根のままの家は数えるほどしかない。それ以上にこの集落では過疎化が問題のようで、多くの家が無住になってから相当月日が経っていて、朽ち果てるに任せている家が多く見られ、心痛む光景であった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 滋賀県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1991年 |
政所の町並 |
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