近江八幡市武佐町の町並
武佐町・長光寺町
地図


武佐町の町並

  武佐町は近江八幡市街から南東に位置する旧中仙道に沿って発達した町だ。
古くからの交通の要衝で、早くから市が発展していたと考えられる。武佐宿としての武佐の名前がはじめて現われるのは、建武2年(1335)「実暁記」である。
当時は武佐寺(後の長光寺)を中心に宿泊がなされていたようである。守護六角氏の保護を受けた市場としても発達した。
江戸期の武佐宿は、草津宿から分岐した中山道は、守山・武佐・愛知川・高宮・鳥居本・馬場・醒ヶ井・柏原と続き美濃の国に入った。
宿村大概帳などによると、町並は街道沿いの長光村から武佐村までの約920mほどで、家数183、本陣は下川氏、脇本陣奥村氏のほか問屋2軒(武佐村1・長光寺村1 15日交替で勤めた)、旅篭23(天保14年)人馬の継立てとして人夫50・伝馬50が定められた中程度の宿場であった。
町並は牟佐神社から、西南の方向で近江鉄道武佐駅に向って延び、旧中山道に沿って両側に展開するが、特に古い古い町並が残るのは、八日市に向かう旧道の交差する辺りだ。
牟佐神社前が旧高札場跡で、宿場の東の入口であった。
宿場内の案内板は、武佐小学校卒業生の手造りで、家の型まで書かれていて、一風かわった案内板であったが、近江八幡市はこんな案内板のみで説明を放棄している。新町二町目や永原町通りの重要伝統的建造物群指定地区になっている部分だけでなく、郷土を愛する小学生でも武佐宿の説明をあげているのだから、行政でもって何とかして欲しい。
平尾家役人宅、小西薬局、岩越家などの平入り中二階塗り込み、虫籠窓のある伝統的な商家が点在する。浄宗院の北、武佐町会館の建っているところが旧脇本陣跡であり、郵便局の建つところがが旧伝馬所跡だ。その郵便局の西隣に門構えの下川家がある。ここが武佐宿本陣跡であり、その前が中村屋という、旅篭時代からの旅館である。
その少し西に武蔵川越藩松平周防守陣屋跡の大橋家があり、宿場役人を務めた家柄であった。そして宿の西端には高札場跡の小学生の説明板があがっていた。
中山道と八日市に向う旧道の交差点には「いせ、みな口、ひの、八日市道」と刻んだ文政4年(1821)の道標が立ち旧宿場の名残を留めている。
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参考文献
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和54年
  中山道歴史散歩  有峰書店新社  斎藤利夫   1995年
  滋賀県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1991年
  近江中山道  サンライズ出版  淡海文化を育てる会  1998年


武佐町の元武佐宿役人大橋家

武佐町の町並

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武佐町の町並

武佐町の町並

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