京都府を南北に縦貫する由良川と上林川の合流する付近に展開する町並が山家で、両川沿いに位置する。 山家村は江戸初期にはあったが、山家村の多くの枝村は江戸期を通じて分村し、幕末には山家村という村名は解消したが、山家はのちもこの地の総称名として用いられていた。そして明治22年になって、再び各村が合併して山家村が成立した。 丹後田辺(舞鶴市)より京都に至る京街道(田辺街道)が村を横断し、上林谷を経て若狭の本郷(現福井県大飯町)に通じる若狭街道の分岐点であり、人足駅問屋や旅籠があった。 そして近世山家藩の陣屋町であった。戦国時代、山家は和久氏の領地でしたが、明智光秀に滅ぼされ、その後、谷衛友が天正10年(1582)に、由良川と上林川の合流点の上林川の左岸の断崖上に居館を築いて山家殿と名づけました。関ヶ原の戦いでは、谷氏は西軍でしたが、細川幽斎の弟子だったため許され、山家藩として維新まで続きました。家中屋敷は本丸南方の段丘上に構築された。陣屋町は上林川を隔てた台地上に設けられた。その町場北に若狭街道が通っていた。家中と陣屋町とは上林川に架かる肥後橋によって繋がっていた。 明治初年に日本陸軍が造った共武政表(徴兵用に造られたもの)によると、山家として戸数246・人口1,111とある。 明治43年鉄道が開通し、山家大橋も架設され上林方面から運び出された木材・薪炭などが山家駅構内に山積みされる盛況だった。 今、若狭街道沿いに古い町並が展開する。古い伝統的な家屋が連続しているのは僅かだが、かって賑わっていた名残は各所に残っている。そんな中でも造り酒屋さんが営業されていた。 京都府の歴史散歩下 山川出版社 山本四郎 1995年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和57年 京都府の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
東山町山家の町並 |
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