伝説によれば、鎌倉時代に平家の落ち武者が住み着いて開村したと云われる黒谷は、今でも和紙の産地として高い評価を得ている所である。 舞鶴湾に注ぐ伊佐津川と支流黒谷川の合流する峡谷に位置する黒谷。周囲は高い山地で、川沿いの僅かな平地に集落がある。 江戸時代はじめは山家藩領、寛永5年(1628)から旗本梅迫谷氏知行地となる。 幕末の石高はわずか24石余であるが、明治5年の戸数は111軒を数え、殆どの家では紙漉きに従事していた。 古くから自生の楮を原料に、黒谷川の水を利用して紙を生産していた。寛政(1789〜1801)の頃から紙漉きの改良を図り京都への販売を目指した。安政6年(1859)には京都越後屋の別家善七・友三郎から指導を受けて品質を向上させ、技術保存のため株仲間を結成した。領主へは、紙運上を上納している。 明治から大正にかけて紙漉きは主業として益々盛んになり、市場の確保と品質向上のため明治41年に黒谷製紙組合が結成されている。 昭和30年代になり、洋紙の増加から各地の和紙産地が廃業するなかで、黒谷和紙は生産を維持し民芸品としての活路を見出した。 今黒谷の集落を歩くと、ただの山間集落のようだが、集落の共同作業場を中心にして、伝統的な古法の手漉き技術でもって生産された和紙は、貴重な存在となっている。 この黒谷で和紙の仕事に従事されている家は4軒程になってしまったと、古老は嘆いておられたのが印象に残る。 町並は黒谷川に沿った細い道路の両側に展開する。建物の統一感はないが、どの家も奇抜さのない落ち着いた家々で好感の持てる集落であった。 京都府の歴史散歩下 山川出版社 山本四郎 1995年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和57年 京都府の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
黒谷町の町並 |
黒谷町の民家 |
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