湯河原温泉の町並
湯河原町宮上
地図


湯河原町宮上の町並
 湯河原温泉は神奈川県の南西端に位置する湯河原町の南部で、静岡県熱海市と接している。
湯河原温泉の中でも今回訪ねたのはその中心地とも言われる宮上地域である。
天正年間(1573〜92)には「ここみの湯」と呼ばれ、戦国武将が刀傷の治療に来ていた。「新編相模」によると天保年間(1830〜44)には「まま子湯」「前の湯」「下の湯」の3源泉があり、湯槽は露天の石を用いたもので、「湯ば」という簡単な湯宿が6戸あった。治効は近くの熱海・箱根の泉と伯仲すべしとあり、余り違わなかったが、地の利が悪く、景勝も少なかったので、湯治客は非常に少なかった。温湯を酒樽に詰めて江戸や近隣に売りだしていた。
近世の宮上村は寛永10年(1633)・元禄10年(1697)・幕末ともに小田原藩領。「新編相模」では土肥宮上村と見え、また古くは宮下村と合わせて土肥入谷村と称した。村高は寛永初年(1624頃)宮下村と合わせて573石余、「元禄郷帳」262石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに315石余。家数は寛永初年(1624頃)宮下村と合わせて168戸。寛文12年(1672)村明細帳によると家数62とある。
明治になっても湯宿は農間余業の兼業で小規模なものであり、その様な状態が明治中期まで続いた。日清・日露戦争に際して軍の東京予備病院の転地療養所にあてられた頃から、従来の自然湧出の温泉でなく、掘削も行われるようになり、次第に設備なども整い旅館も徐々に増えて行った。明治末年から大正期には20軒前後だった旅館数は昭和初期には40軒程になり、昭和40年には143軒、昭和56年には194軒にも増加し、民宿や寮・保養所なども爆発的に増えた。
今、湯河原温泉の宮上地区を歩くと、湯治場としての雰囲気が残る場所がある。細い道に沿って上野屋・伊豆屋・中屋等の伝統的な木造建築の旅館が並ぶ中に土産物屋や食堂が残る。かっての温泉街の風情が残っていた。少し外れて富士屋旅館の格式ある立派な建物が見られるが、営業を辞めておられたのは惜しまれる。
町並み指数  30
参考文献
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和59
   神奈川の地名  平凡社  下中邦彦  1984年


湯河原温泉の老舗旅館

湯河原温泉の老舗旅館

湯河原町宮上の町並

湯河原温泉の老舗旅館

湯河原町宮上の町並

湯河原町宮上の町並

湯河原町宮上の町並

湯河原町宮上の町並

湯河原温泉の老舗旅館

湯河原温泉の老舗旅館
古い町並みに戻る