東総地区の中心地匝瑳市八日市場イは多古銚子道沿いに発展した集落です。 寛永8年(1631)佐倉藩による検地が実施され、同12年(1635)から旗本池田・稲垣・永井・大河内領の相給となったとされている。元禄13年(1700)頃は池田・永井・大河内領の相給。 寛文2年(1662)の家数315、元禄8年(1695)の家数450。元禄頃の村の様子を描いたとされる絵図には商いを営む光景も描かれている。その後見徳寺の門前として徐々に町並みが形成され、門前町・本町・横町・田町・出羽町などとして発達した。弘化2年(1845)の家数415。 江戸時代中期から、木綿栽培が盛んに行われ、「八日市場木綿」として江戸を中心に販売された。しかし明治後半からは衰退の道を辿った。当地の主要産業である農業も従来の稲作から昭和40年代頃より植木生産が急速な伸びをみせ、今では日本を代表する生産地に発展している。 明治に入ってからは東総地区の経済・行政・金融の中心地として発展し、多くの金融機関が銚子・多古道沿いに店舗を構えるようになった。国道126号線が旧街道筋の南側を通ったために、町並みがそのまま残った状態だが、その割りに伝統的な様式の家屋が少ない。 古い形式の家も関東特有の看板建築に押し潰されそうになりながら顔をのぞかせている。 それも前に看板などで覆われている家が多くありました。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 日本の地名 千葉県 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1996年 |
八日市場イの町並 |
八日市場イの町並 |
八日市場イの町並 |
八日市場イの町並 |
八日市場イの町並 |
八日市場イにあった石造り土蔵 |