寄居町寄居は埼玉県北西部、荒川が秩父山地から関東平野に出る所に発達した谷口集落で、荒川扇状地の扇頂部に位置し左岸段丘上にある。 寄居村は江戸はじめ旗本日下部氏の知行。寛永年間(1624〜44)幕府領となる。村高は「田園簿」で488石余。その後、元禄国絵図では古寄居村・新寄居村・寄居新組の3ヶ村に分かれている。古寄居村は高270石余で旗本朝比奈・植村・石川の三家の相給。新寄居村は高252石余で、旗本内藤・中野・大久保の三家の相給。寄居新組村は高110石余で、古寄居村と同じ三家の相給。「風土記稿」による家数は古寄居村142・新寄居村146・寄居新組村44。 寛文10年(1670)より三ヶ村に分かれたとあるが、分村しても惣名を寄居村と称していた。 文政10年(1827)の組合村構成では37ヵ村の中核として当村に組合村寄場が置かれた。「当所は民戸軒を並べ、旅人の宿所も多く郡内深谷宿・児玉郡八幡山町・秩父郡大宮町等へ人馬を継送る」村であり、寛永8年(1631)より4・9の日に市(新寄居村地域)が立ち、近隣の絹・穀類などの交易で賑わった。 明治9年の家数291・人数1,152。民業は農桑専業80戸・農桑に商工をなすもの117戸・商業を専業83戸。明治22年の人数2,193とある。 明治34年上武鉄道(現秩父鉄道)が、大正14年東武東上線が、昭和8年国鉄八高線が開通し寄居駅が開設されている。 今、町並みを歩くと比較的古い形式の店舗が残り、大型店舗の進出が無いように思え、旧街道筋の名残の残る町並だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和55年 埼玉県の地名 埼玉県 平凡社 ( 有)平凡社地方資料センター 1993年 |
寄居の町並 |
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