浦安市堀江の町並み 
堀江2丁目・堀江3丁目
地図


堀江3丁目の旧宇田川家住宅

 浦安市堀江は千葉県の最西端、千葉県と東京都の県境旧江戸川の左岸、境川右岸に位置する。
江戸時代を通じて幕府領。村高は「元禄郷帳」223石、「天保郷帳」493石余、「旧高旧領」776石余。
近世初頭、当地は江戸で消費される塩の主力となった行徳塩の生産地であった。しかし浦安では江戸川の水で海水の塩分が低下するなどの条件が悪く、塩田が荒廃していき、漁業に従事する者が増えていった。しかし、目の前に広がる漁場は船橋村が徳川家康に魚を献上したとの由緒で、船橋村に漁場権があると主張され、堀江村には自由にならない目の前の海で、船橋村との間で幾度となく漁場相論が起っている。相論となった漁場は主に貝漁の漁場であり、イカ漁も盛んに行われていた。
明治に入っても産業の主体は漁業であった。海苔の養殖が盛んで、海苔筏の数は7000から8000に及んだという。しかし、第2次世界大戦後、江戸川や東京湾の汚染が進み、漁業、とくに海苔養殖に深刻な打撃を与えるようになり、昭和46年には漁業権の全面放棄が行われ、漁村としての使命は終わってしまった。
今では、東京メトロ東西線が通り、都心まで30分足らずで行ける、住宅地となっていて、かっての漁業集落の面影は全く残って居らない。それもそうだろう、第2次世界大戦後に埋め立てられた土地が浦安市の3/4を占めているそうだから。
そんな中で境川の南側一筋目の道沿いには、比較的伝統的な様式で建てられた家屋が点在している。
代表的な家屋に旧宇田川家住宅があり、漁師町の商家建物が公開されている。他にも古い様式で建てられた家屋が散見できるが、漁師町の様相は見いだせなかった。
 町並み指数 20
参考文献     
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和59年
  日本の地名 千葉県  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1996年

堀江3丁目の旧宇田川家住宅

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