秩父市大滝(落合集落)の町並み 
大滝(落合集落)
地図


大滝の町並

 秩父市大滝(落合集落)は埼玉県西部、荒川の最上流域で秩父山地に位置している。全域が秩父多摩国立公園内にある。荒川は村域至る所に深いV字渓谷を形成して二瀬ダムに注ぎ込み、この落合で中津川と合流し、大達原で大血川と合流している。
江戸期はじめは大滝村一村であったが、明暦元年(1655)に大滝村から新大滝村が分村したとの記録があるが、正保国絵図などにはすでに大滝村と新大滝村の二村が記載されている。新大滝村は大滝村の北から東にかけて、中津川谷に沿った地域から大血川の流域の村々である。
大滝村(古大滝村ともいう)は西から栃本・上中尾・下納・大久保・岡本・大達原の6組。新大滝村は落合・浜平・三十葉」・轟・小双里・塩平とある。
家数・人数は古大滝村では、元禄2年(1689)家数195・人数860。宝暦4年(1754)183・735。寛政12年(1800)179・724。天保9年(1838)157・673と更に減少している。新大滝村では、元禄9年(1696)家数234・人数948。享保19年(1734)248・999。文化10年(1813)183・916。嘉永6年(1852)167・828。慶応3年(1867)166軒と減少は両大滝村で起こっていた。
家数・人数が減少したのは、享保20年(1735)の差上申一札によると、元禄12年(1699)大風、同14年(1701)の大水、正徳4年(1714)・同5年(1715)の凶作などにより減少とある。
耕地は全て畑で、他に焼畑も行われていたが、薄地のため不作が多く、猪・鹿・猿などによる被害も多く、猟師鉄砲も貸し与えられたりしている。
畑には大麦・小麦・栗・稗・大豆・小豆・蕎麦などが作付されていたが実入りが悪い上に耕地も少なかった。
農間稼業として、男は御林内での木材の伐り出しや背負出しの駄賃稼ぎ、女は麻布・絹・横麻織や木材の背負い出し駄賃稼ぎなどを行っていた。
明治10年、分かれていた古大滝村と新大滝村が再び合併して大滝村になり、大滝村の大字となり、更に明治22年に大滝村・中津川村・三峰村が合併して大滝村となった。旧大滝村の村役場は今は秩父市役所大滝支所として機能している。
この集落の家々も大型の家屋である。江戸末期からの始まった養蚕の活況がもたらしたものだろう。明治〜大正・昭和の戦後直ぐまで家々は挙って大型の家屋を建てて養蚕に励んでいたのが今に残っている。
町並み指数 30
参考文献     
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和55年
  日本の地名 埼玉県  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1993年
  埼玉県の歴史散歩  山川出版社  埼玉県高等学校社会科教育研究会  1999年

大滝の町並

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