秩父市荒川贄川は埼玉県西部、荒川上流左岸、荒川とその支流贄川の流域の低位段丘・山間地に位置し、東京都心から約80kmの距離である。 江戸はじめは幕府領、天保2年(1831)上野館林藩領、嘉永元年(1848)川越藩領、明治2年から上野前橋藩領。 化政期(1804〜30)の家数は159軒。今回訪ねたのは贄川村町分と呼ばれていた辺りで、秩父甲州往還沿いに町場が形成され、高札場も設けられていた所。東西二町余りの町並には食品店・旅籠屋・商家などが建ち並んでいた。寛文7年(1667)頃から2・7の六斎市が立っち、元禄末期まで続き賑わっていたといい、大滝村三峰山への参詣客、巡礼札所の宿場町としても繁栄していた。 慶応2年(1866)の家数は183・人数883とある。痩せ地の山間部のため畑地も少なく、年貢は金納制であった。絹・横麻の織り物を主たる換金商品として煙草・楮・薪炭・木材・魚獣類などが山村経済を支えていた。畑で作っていた作物は麦・あわ・稗・大豆・小豆・芋・栗などである。 男は山稼・炭焼・椎茸・岩たけ・干し柿などで、三峰山への参詣客の荷を背負って送り駄賃を取っていた。女は蚕桑とり・絹・横麻の類の織りだしであった。 明治9年頃には家数149・人数735とあり、物産には繭・絹・生糸・たばこ・楮・香魚などがあった。 今、贄川を訪ねると、宿場町当時の面影が家並みに色濃く残っている。現代的な建物も少なく、江戸時代の情緒が感じられる宿場町である。特別保存している感じでもない町並みで、好感のもてる古い町並みだった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和55年 日本の地名 埼玉県 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1993年 埼玉県の歴史散歩 山川出版社 埼玉県高等学校社会教育研究会 1999年 |
荒川贄川町の町並 |
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