館山市那古の町並み 
那古
地図


那古の町並
 館山市那古は房総半島南西部にある館山市街から北へ約5km、館山平野の北端に位置し、元禄(1688〜1704)のころまでは那古山ふもとは海岸であったと云う。
近世の初めは里見氏領、元和元年(1615)幕府領、のち「正保郷帳」では旗本石川氏領、「房陽郡郷考」では館山藩領、「旧高旧領」では幕府領。村高は慶長15年(1610)「里見家分限帳」309石余、「元禄郷帳」410石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに391石余。天保年間(1830〜44)頃の家数238とある。
那古山の中腹にある那古寺(那古観音)は江戸中期より観音霊場として庶民の信仰を集め、この地域は那古寺の門前町として賑わった。
「共武政表」によると家数303・人数1,602、学校2、牛11、馬6、車両25、船6。京浜方面への汽船の船着き場として賑わった。
明治22年東京湾汽船会社が設立され、那古桟橋は汽船の発着場と共に、房総半島南部の商業地としての賑わいを見せていた。大正8年国鉄北条線(現JR内房線)が町内を通過後は、旅客輸送の中心は鉄道に移ったが、薪・炭・竹材の積出は汽船で行われていた。大正10年の家数900・人数4,497。
那古・船形地区では「房州うちわ」の生産が盛んだった。うちわの骨材となる大島竹・仁賀竹などの篠竹が多く自生していて、関東大震災までは東京へ割竹で出荷していたが、その後は紙貼りまで行って製品を出荷するようになった。
館山や那古では関東大震災で殆ど壊滅状態まで建物が倒壊したので、今ある古い建物も全てその後に建てられた建物ですが、古い建物が殆ど見当たらなかった。

町並み指数 20
参考文献     
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和54年
  日本の地名 千葉県  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1996年

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