館山市長須賀は千葉県の南西端、房総半島の先端南西部に位置する。 豊臣政権下から徳川政権下初期の慶長19年(1614)までは市域は一貫して里見氏の治世下に置かれていた。当時里見氏の居城は館山で、今回訪ねた長須賀も城下に含まれていたと思われる。 寛永年間(1624〜44)に北条藩屋代氏領となる。「正保郷帳」では北条藩領、「房陽郡郷考」「旧高旧領」ではともに館山藩領で幕末に至る。村高は「元禄郷帳」184石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともの186石余。 北条藩は正徳元年(1712)に万石騒動により廃藩になり、享保10年(1725)には水野氏が新たに北条藩を興し、天明元年(1781)には館山に入封した稲葉氏により館山藩が成立している。 享和元年(1801)当時は旗本小笠原領で家数208。「房陽郡郷考」では家数130とある。 文化7年(1810)になると房総の海岸警備を担当した陸奥白河藩が市域の殆どを支配し、続いて幕府代官森覚蔵、続いて羽倉外記、武蔵忍藩、備前岡山藩と海防担当が移り、安政5年(1858)の開国に伴う警備縮小まで、市域は概ねこうした海防担当藩の支配下にあった。 明治10年代から東京と館山を結ぶ汽船の就航が始まり、避暑避寒の保養地として注目され、昭和に入ってからは館山海軍航空隊を始めとする軍施設が多く建設され、軍都の様相を帯びていった。 今、館山市街は房総半島南端の温暖な観光地へ物資を供給する基地のような様相を示している。市街には僅かに残る寄棟・板張りの家屋が、繁栄していた頃の様子を伝えていた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 日本の地名 千葉県 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1996年 |
長須賀の町並 |
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長須賀の石造り(房州石)の家屋 |
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