谷中は上野の北にあたる。東は日暮里、西は根津の両低地の間、上野台の北半分に広がる高台で、南部は上野公園に続く。 寛永12年(1635)頃から幕府による江戸市中の新しい町造りが本格化し、まず江戸中心部の神田・日本橋辺りにあった寺院は、外堀外周に強制的に移転させられ、浅草寺・寛永寺を中心に浅草・下谷・谷中の寺町化が進み、明暦の大火(1657)後、更に多くの寺院が移されて来た。 江戸時代初期にはこの地は谷中村であったが、元禄期(1688〜1704)以前に谷中本村(谷中町在方分)と谷中町(谷中町分)に分れ、谷中町分は次第に町場化していった。それは江戸時代の谷中は主にこの谷中町分にあたり、明暦の大火を契機に移転してきた多くの寺院や門前町屋や町人地でもって町場化した。 明治7年新政府は戊辰戦争でその大部分を焼失した天王寺の境内を共同墓地としたので、広大な天王寺の境内は今でも行楽地の一つで、桜の名所となっている。また、現在この一帯は計120ヶ寺の境内と谷中一帯の三分の一を占める谷中墓地、それに住宅地と商業地から構成され、都内でも数少ない寺町として知られる。 この地域は関東大震災や第2次大戦中の大空襲でも被災しなかったので、江戸時代の町割りのまま江戸・明治・大正の古い町並が残り、路地や急な坂道が多く見られ、寺院の境内や墓地などを中心に緑に包まれた地域である。 東京都の歴史散歩上 山川出版社 東京都歴史教育研究会 1998年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和53 東京都の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2002年 |
谷中7丁目の町並 |
上野桜木2丁目 |
谷中6丁目の町並 |
谷中1丁目と2丁目の境 |
谷中2丁目の路地 |
根津2丁目の町並 |
谷中2丁目の町並 |
谷中2丁目の路地 |
谷中1丁目の町並 |
谷中1丁目の町並 |