慶長7年(1602)江戸日本橋から千住・草加・越谷・粕壁・杉戸・幸手・栗橋・中田・古河‥‥と続く道路が5街道の一つ奥州道(のちの日光街道)と定められ、杉戸宿が奥州路第5次の宿場に指定された。そして近世宿駅の形態にそった町割りが行われ、街道の両側に軒を並べる町並が形成された。 天保14年(1843)の改めによると、宿の往還長さ16町55間、道幅は5間、宿内家数365・人数1,663。本陣1・脇本陣2でいずれも中町に置かれていた。旅籠屋46(大4・中7)。 集落は街道に沿って町並みを構成し、5・10の日に六斎市が開かれて近郷商圏の中心地となっていた。町中は新町・下町・中町・上宿の行政区に分かれ、それぞれに名主や問屋が置かれていた。 本陣を勤めた長瀬家には、宿に関する記録が多く残されているが、本陣経営の厳しさが伺い知れる。 今、古い町並みは連続して残ってはいないが、伝統的な様式の商家の建物が旧日光街道に沿って点在していて、宿場町当時の面影が残っている。 ただ、交通機関の駅名から杉戸の文字が消え、東武動物公園前になっていたのには驚きと寂しさがあると思った。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和55年 埼玉県の地名 埼玉県 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1993年 |
杉戸の町並 |
杉戸の町並 |
杉戸の町並 |
杉戸の町並 |
杉戸の町並 |
清地の町並 |