品川区旧品川宿の町並み
東大井町1・南品川1〜3・北品川1〜2
旧東海道筋
地図


北品川1丁目の町並み

 東京都品川区の旧品川宿の江戸時代は武蔵野台地の東端、東京湾に面していた東海道の一番目の宿場町であった。現在はJR品川駅の南側に位置する。
品川は古代より中世そして近世と交通の要衝だったが、町場化した街道筋の一部地域を除き大部分は純農村であった。
江戸幕府の開府により東海道品川宿が設けられた。当初は目黒川以南の南品川宿と目黒川以北の北品川宿から成っていたが、享保7年(1722)からは北品川宿の北側に歩行新宿が成立し、以後三宿で品川宿が構成された。
文政年間(1818〜30)品川宿の状況は、南品川宿が家数527・人数2,005、脇本陣1・中旅籠19・小旅籠16。北品川宿は家数522・1,人数996、本陣1・中旅籠19・小旅籠2。歩行新宿は家数388・人数1,764、脇本陣1・大旅籠7・中旅籠20であった。
宿場の長さは現在の北品川1丁目〜南品川3丁目までの約2km。
東海道の第一番目の宿場であり、いわば江戸の喉元にあたる。大名や公家の通行はもとよりあらゆる階層の人々が通過したところであり、朝鮮などからの外国使節も通った。飯盛女を抱える旅籠屋や商いの店が軒を連ねていて、江戸市中の人々が遊興に赴く場所として繁華な宿場になっていて、500人という公認の飯盛女のところに1,358人もいた程。北の新吉原に対して南国と称された遊興地でもあった。
街道筋の賑わいは、鉄道の普及によって衰退してしまったが、遊興地としては昭和33年の売春禁止法施行まで続いた。
今回の訪問では京浜急行鮫洲駅(東大井1丁目)から南品川3丁目・2丁目・1丁目、そして目黒川を渡って北品川2丁目・北品川1丁目と旧東海道筋を歩いた。古い形式で建てられた伝統的な家屋が連続している町並みとは言い難いが、戦災を免れた古い形式の家屋が点在している商店街である。銅板張りの家、看板建築の家、中2階建てでつい最近まで格子が在ったと思われる家、出桁造りの町家など、この地区は戦災を免れているため、結構な数の古い家屋が残されていた。
町並み指数  40
参考文献
   東京都の歴史散歩(中)  山川出版社  東京都歴史教育研究会  1997年
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和53
   東京都の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  2002年


東大井1丁目の町並

南品川3丁目の町並

南品川3丁目の町並

南品川3丁目の町並

南品川2丁目の町並

南品川2丁目の町並

南品川1丁目の町並

北品川2丁目の町並

北品川2丁目の町並

北品川2丁目の町並
古い町並みに戻る