青梅は多摩川が奥多摩連峰から武蔵野台地に流れ出る所に発達した渓口都市で、武蔵野扇状地のかなめの地にあたる。都心から北西へ約50kmに位置している。 江戸時代の初めは幕府領。延享4年(1747)から天保3年(1832)までは田安家領、その後再び幕府領となり明治を向かえた。 江戸初期には森下に八王子代官の陣屋(現熊野神社地)が置かれ、江戸えの石灰や木材輸送のため青梅街道が開かれた。甲州への往来の旅人が多く、この往還を甲州裏道と称し宿駅・市場としても賑わった。また、御岳山参詣者の登山基地として青梅宿が栄えていた。天保5年(1834)にできた御岳神社PR誌の「御岳菅笠」には「青梅の町に泊りやの、数ある中をみわたせば、下は伊丸屋嶋屋とて、中は高田や北島や、角屋の前をうちすぎて……」と多くの旅籠があり、賑わっていたことが記されている。また綿織物産業も盛んであった。木材の多くは多摩川を筏で搬出され、江戸城をはじめとして武家屋敷の建築資材に当てられた。 青梅村では市立ちが行われ、絹・木綿の混紡である青梅縞をはじめ、薪炭などの集散地であった。 明治に入り、青梅警察分署、西多摩郡役所、青梅税務署、西多摩郡農会、青梅織物同業組合などが設けられ、定期市なども開設され西多摩地方の行政・産業の中心として発展した。 今でも青梅街道沿いに古い町並みが展開していた。今、青梅市では「昭和レトロの青梅宿」「ぶらり青梅宿」などと題して町おこしに取り組んでおられた。青梅まるごと博物館・昭和レトロ商品博物館・昭和幻燈館・昭和青梅写真館……などのレトロな建物が青梅街道沿いに点在していた。 また、熊野神社近くに旧稲葉家住宅がある。切り妻の土蔵造りの主屋は江戸後期の建物で、東京都の有形民族文化財に指定されていた。 東京都の歴史散歩(下) 山川出版社 東京都歴史教育研究会 1998年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和53 東京都の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2002年 |
住江町の町並み |
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