奥多摩町境(中山集落)は東京都の西端の青梅街道(国道411号線)中山トンネルの真上にある集落である。トンネルを抜けると直ぐに小河内ダム(通称奥多摩湖のダム)である。 中山集落を含む境村は江戸期を通じて多摩郡三田領のうち幕府領であった。家数・人数は元禄年間1688〜1704)77戸、享保5年(1720)78戸・267人。寛政元年(1789)51戸・261人、天保年中(1830〜44)57戸、化政期(1804〜30)の家数は60戸という。 険阻な山間地で山林7割・畑地3割で猪・鹿・猿などに荒らされることが多かった。炭焼き・材木・シイタケ・ワサビ・川海苔などの農間仕事をしていた。 中山集落は6〜7軒程の家が急峻な山肌にへばり付くように建っている小さな集落である。急斜面を切り開いて平地を造成して家屋を建てたものだから、山に沿って長い建物になっている。民家の軒先が道でその先が崖になっていて大変危険な状態と思う。地元の方が二人縁側で話されていたので、毎日見事な景色が見られますねと声をかけると、笑っておられたが、心境はどうでしょう。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和53 東京都の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2002年 |
境(中山集落)の民家 |
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