奥多摩町は東京都の北西端にあり、東京都心から北西に約70kmに位置し、多摩川と日原川の合流点である。 氷川には江戸から甲州への道、甲州裏街道(青梅街道)が通り宿駅として発展した。 江戸期を通じて多摩郡三田領のうち幕府領で終始した。寛文8年(1668)の家数は238戸。 化政期(1804〜30)の家数111軒とあり、焼畑農業が主だった。村の中心は大氷川で、名主屋敷や氷川神社などがあり、南氷川は宿と呼ばれ、山方と里方の物資交流の場で「山よりでる炭など其外産物と交易し、駄して帰ること、日々駄馬二、三十疋は往還す」(杣保志)という。南氷川の街道の両側にはさまざまな店、旅籠屋が軒を並べていた様子が判る。 明治2年氷川本村で商家10軒・酒造家2軒・農間の大工職人7・木挽2・桶工2の計23軒があった。 訪ねた町並みは氷川から北に向かい、日原川に沿って日原に向かう旧日原街道筋と、青梅街道筋である。JR青梅線の終点駅の奥多摩駅、最近とみに観光地として脚光を浴びている奥多摩湖への玄関口だが、自動車を利用した観光が多いのでしょう、駅前といえども閑散としていて、今では青梅街道で氷川を通過してしまい、観光地でありながら寂れた感じがする。 旧日原街道の細い道を歩くと、店を構えていただろう商家の建物や土蔵などが点在する。旧街道に沿って間口の広い平入りで切り妻造り中2階建ての建物だ。街道筋であることが一目瞭然の町並が展開していた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和53 東京都の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2002年 |
氷川の町並み(旧日原街道) |
氷川の町並み(旧日原街道) |
氷川の町並み(旧日原街道) |
氷川の町並み(旧日原街道) |
氷川の町並み(旧日原街道) |
氷川の町並み(旧日原街道) |
氷川の町並み(旧日原街道) |
氷川の町並み(旧日原街道) |
氷川の町並み(青梅街道) |
氷川の町並み(青梅街道) |