桶川市旧桶川宿の町並
南1丁目・東1丁目・寿1丁目・寿2丁目
地図


旧桶川宿(東一丁目)の町並

 桶川市の旧桶川宿は埼玉県の東部、都心から40km圏で、大宮台地の中北部に位置している。
江戸期、初め桶川村と称したが、元禄年間(1866〜1704)までに町立てされ、中山道の宿場として発展した。
桶川宿は江戸はじめは旗本西尾氏の知行、元和4年(1618)幕府領、寛永16年(1639)からは忍藩領。村高は「田園簿」で桶川村と見え572石余、「元禄郷帳」では桶川町と見え677石余、「天保郷帳」では桶川宿として722石余。寛永2年(1625)の家数58軒、延宝8年(1710)の家数163・人数785、享保14年(1729)明細帳の家数156・人数1,363、寛政12年(1800)の家数247・人数1,037、化政期(1804〜1829)の家数250余、天保14年(1843)の宿村大概帳では家数347・人数1,444。
桶川宿は、江戸初期中山道の整備に伴い江戸らか6番目の宿場として設置された。前記宿村大概帳
によると宿往還の長さは18町53間、うち宿町並みは南北9町半。本陣は下中町1軒に、脇本陣2軒は上中町にあった。旅籠屋は36軒で、飯盛り女もかなり多かったようです。
商業も盛んで、延宝元年(1673)に市が認められ、享保14年(1729)の明細帳にも市日は5・10の六斉市で、穀物などが扱われていたが、桶川で有名な紅花栽培が天明〜寛政(1781〜1801)頃から始まり、栽培が隆盛を極め、買次や仲買を行う紅花商人も次第に増えていった。
文久元年(1861)の皇女和宮の下向に際しては、行列4万人分の夜具布団と2千人分の膳椀の用意を命ぜられてていて、人足36,394人、馬1,241頭が集められた。
今、旧街道筋を歩いても、古い町並は殆ど残っていないが、辛うじて矢部家と竹村旅館の伝統的な建物を主に、古い形式で建てられた家屋が散見できる。桶川宿本陣遺構(県の指定文化財)があるそうですが、奥まった位置にあるようで、全く見落としてしまったのが残念。只一般の民家のため見ることはできないようです。
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参考文献
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和63年
   埼玉県の地名  平凡社   (有)平凡社地方資料センター   1993年


旧桶川宿の町並

旧桶川宿の町並

竹村旅館

旧桶川宿の民家

旧桶川宿の民家(建物を持ち上げて修復中)

旧桶川宿の民家

旧桶川宿の民家

矢部家住宅
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