成田市は云わずと知れた成田山新勝寺(成田不動)の門前町である。成田山新勝寺の本尊不動明王は「成田不動」とも称され、天慶3年(940)に平将門の乱の調伏を目的に創建されたものである。 新勝寺成田不動を知らしめたのは、元禄16年(1703)にはじまる江戸深川永代寺を中心として開かれた江戸出開帳と芝居によるところが大きい。 出開帳は出張して寺の秘仏を公開するもので、江戸時代には23回の出開帳を行っているがその内の10回は江戸深川永代寺である。芝居では歌舞伎の市川団十郎の力に負うところが大きく「成田不動霊験記」の上演は江戸町民に成田不動尊の名を広めた。 文化年間(1804〜18)以降は佐倉街道(成田街道)を通って、江戸町民の成田詣が盛んとなってきた。成田村が新勝寺の門前町として形成されてきたのは宝暦から天明年間にかけてである。文政10年(1827)の家数144軒のうち、100軒が農間余業として参詣者相手の商売を営なんでいたし、天保9年(1838)の成田組合諸商渡世向取調帳によると成田村の家数177軒のうち146軒が何らかの商売をしている。 江戸時代を通じて佐倉藩領であり、元禄14年(1701)指出帳によると家数98。寛政5年(1793)明細書上帳によると家数148・人数647。安政7年(1860)の家数193・人数971とある。 明治30年にはそれまで人家がまばらだった町はずれに成田鉄道(現JR成田線)の駅が設置されたことにより花崎町ができ、門前町は現在の本町・仲町・田町・上町・幸町・東町・花崎町の 七町となった。戸数・人数は明治24年552・3,549。明治37年1,313・4,89。大正6年1,419・6,657であった。 門前町は今でも大変な賑わいで、参詣客が行列をつくり、写真も人通りが絶えるのを待って撮らねばならないような状態で、特に仲町には木造3階建ての旅館や土産物屋が軒を並べ、参詣客に向って懸命に呼び込みを行っていた。また電柱が地中化がされていて、すっきりとした町並であった。 参考文献 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和59年 千葉県の歴史散歩 山川出版社 千葉県高等学校教育研究会 1989年 日本の地名 千葉県 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1996年 日本の町並V別冊太陽 平凡社 江田修司 2004年 |
仲町の町並 |
仲町の町並 |
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仲町の町並 |
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