本納は南北に茂原に向かう通称房総東街道沿いの両側に発達した集落である。 町並みの東側に、戦国期に登場する本納城があり、永禄の頃ここに黒熊大膳景吉が居城していたとされるが、永禄12年(1559)に酒井胤治に攻め落とされ、その後徳川家康の関東入封により、城は廃城になった。 文禄3年(1594)の上総国村高帳に本納村とあり、高2800石とある。寛政5年(1793)の上総国村高帳では幕府領、旗本島田・花房・永田・堀・富永・小栗・筑紫・大番与力給地の相給であり、家数355とある。 慶長11年(1606)大久保治右衛門によって、1・6の日に六斎市が開かれ、内房からの塩や農具類・日用雑貨を道端に並べた市が開かれていた。この市は明治後期〜大正初期まで続けられていた。 房総東街道は本納で枡形の折れ曲がっている。中世の城下町では枡形の街道は無いので、江戸時代に街道筋を枡形に曲げたのでしょう。 古い町並はこの房総東街道沿いに展開していた。伝統的様式の家屋が点在するも町並みには成っていない。でも寛政5年(1793)で家数355と言うから、そこそこの在郷町だったようで、その名残の商家の建物も見られた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 日本の地名 千葉県 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1996年 |
本納の町並み |
本納の町並み |
本納の町並み |
本納の町並み |
本納の町並み |
本納の町並み |
本納の町並み |
本納の町並み |