片貝村の江戸時代は鰯の地引網漁によって活況を呈していた。 地引網漁の発展によって、浜付き村落の海岸進出が活発化して、富農の網元化が進み、小作人の多くは水主として漁業に従事するようになっていった。 片貝村は「東金御鷹場旧記」によると、片貝・中里・北・西・屋方・南の6ヶ村の村名があるがこの6ヶ村全てが片貝村であった。 寛政6年頃と推定される片貝村明細帳によると、家数464・人数2,215とある。 今回、海岸に近い漁業集落の町並みを訪ねたのですが、街村化しているのですがもう一つ町並みとしては魅力に欠けると判断して、同じ片貝村でも海岸から3から4KMも遠く離れた集落で槙の生垣林で屋敷を囲った集落を訪ねました。 この片貝だけでなく、この辺りの集落は全てこのような槙の生垣林で屋敷を取り囲んでいる。太平洋からの潮風を防ぐ防風林としての役目をしているのだ。 見事に刈り込まれた槙の生垣は綺麗に見えるが、年に何回かの刈り込みを考えると、生垣を維持していくのも、家屋の維持と同様に大変ことだろう。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 日本の地名 千葉県 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1996年 |
片貝集落前里の光景 |
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