勝浦市勝浦・浜勝浦の町並 
勝浦・浜勝浦
地図


勝浦の町並

勝浦市勝浦・浜勝浦は房総半島の南東部、太平洋に臨む所に位置する。
天正18年(1590)徳川家康の関東入国にともないけん、勝浦には植村泰忠が配された。天和2年(1682)植村氏は大名に昇格し、勝浦藩が成立し勝浦(串浜村)に陣屋を構えた。宝暦元年(1751)植村氏は改易され、武蔵国岩槻城主大岡出雲守忠光の領地となったが、大岡氏は岩槻を本拠としたので、以後8代、明治維新まで岩槻藩領で大岡氏の支配が続き、勝浦には陣屋が置かれていた。
村高は「元禄郷帳」161石余、「天保郷帳・旧高旧領」ともに177石余で、郷帳類の村高は勝浦村とあり勝浦村と浜勝浦村との合計高と考えられる。
慶長6年(1601)の水帳によると、勝浦は宿と浜に区分され、宿は勝浦村、浜は浜勝浦村であった。しかし、江戸時代を通じて郷帳類では勝浦村に含まれていた。寛政5年(1793)の上総国村高帳では勝浦村は高40石、家数178。浜勝浦村は高121石、家数93。文政10年(1827)の岩槻藩村々書上帳では勝浦村は家数200・人数788。浜勝浦村は家数100・人数404。
江戸初期に既に漁業が発展しており、それに伴い他国人の出稼ぎ・移住により町並みが形成され、商業市街地と漁港周辺集落が成立していた。明治期・大正期にも水産物・水産加工品を多く産し、勝浦村も浜勝浦も活気にあふれていた。明治22年勝浦村・浜勝浦村・串浜村など5ヶ村が合併して勝浦町となり、明治24年の家数987・人数5,502となる。
明治30年には東京〜勝浦間の外房定期航路も開設され、物資の輸送に貢献したが、鉄道網が次第に整備され、昭和4年には房総一周の環状線が全通すると、勝浦港の海運業は次第に衰退し、漁業港として活躍することとなった。
今、町並を歩くと、商業地だった勝浦村の地域と、漁業地域だった浜勝浦村の町並の形態に変化は無いようで、平入・妻入り・切妻造り・入母屋造り・寄棟造り・土蔵造り店舗といろいろバラエティーに富んだ町並を展開していた。
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参考文献    
   角川日本地名辞典    角川書店   角川日本地名大辞典編纂委員会   昭和54年 
   日本の地名 千葉県   平凡社   (有)平凡社地方資料センター   1996年

浜勝浦の町並

浜勝浦の町並

浜勝浦の町並

浜勝浦の町並

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勝浦の町並

勝浦の町並

勝浦の町並

勝浦の町並

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